2021-04-27 第204回国会 参議院 文教科学委員会 第10号
同じ人間だから、性別関係なく学力レベルで見てほしいと思う、男女じゃなく実力で平等に選んでほしい、これは当然の声だと思うんですね。特に、入試においては公平公正が求められるわけです。 改めて、大臣、最後にもう一言、入試における差別はあってはならないんだと、公平公正な入試に努めるんだと、その決意を述べていただきたいと思います。
同じ人間だから、性別関係なく学力レベルで見てほしいと思う、男女じゃなく実力で平等に選んでほしい、これは当然の声だと思うんですね。特に、入試においては公平公正が求められるわけです。 改めて、大臣、最後にもう一言、入試における差別はあってはならないんだと、公平公正な入試に努めるんだと、その決意を述べていただきたいと思います。
そちらの方の採点者に関しましては、これは、教科ごとに高い学力レベルを有する方々をしっかり選抜し、そして、その後研修をし、かつ、本当に長い期間、この採点ということに真面目に取り組んでいただいている方々です。
教員一人当たりの生徒数や学力レベルの国際比較をした場合には、我が国は主要先進国の中で遜色のない状況になっておりまして、厳しい財政状況も踏まえますと、この環境を継続することが原則と考えております。同時に、教職員を取り巻く環境は、いじめ、不登校など多様化、複雑化していると認識しておりまして、この水準を超えた配置について一概に否定しているわけではございません。
教員一人当たりの生徒数や学力レベルの国際比較をした場合に、我が国は主要先進国の中でも既に遜色のない状況になっておりまして、厳しい財政状況を踏まえれば、この環境を継続していくことが原則というふうに考えております。
昨今は、この状態も揺らいでいるような感じも受けており、初等中等教育の段階でも、見直すべきは見直し、学力レベルの維持向上に努力をしていかなければならないことは言うまでもありません。 一方で、日本の高等教育はどうでしょうか。 大学は、若者のレジャーランドとか遊園地とか言われております。本当に勉強したい若者は、大学に籍を置く傍ら、専門学校や各種試験の予備校に通っております。
それから、あとは広報の問題、まだまだブラジルは国民の学力レベルとかが低いものですから、消費者意識を高めていって制度をより利用できるようにというような辺りが課題になっているというふうに伺っております。
ということなんですが、法科大学院の必要な学力レベルに達しているのを見るための試験だと思うんですけれども、こういう目的を達するのであれば、現行の予備試験という立派な試験があるわけですから、これを法科大学院の学生に受けさせれば、二度手間で問題をつくる必要もありませんし、より公平な仕組みになるのではないかと思っております。
まあ岩手の教育がいいとは言いませんよ、学力レベルは必ずしも高くありませんけれども、もっと伸び伸びとした教育を特に小さいときにやってあげないと、もう伸び代のない子供たちばっかり出てきてどうしようもないんじゃないかと。要するに勉強嫌いばっかりなんですよ。大学に入ってきたら自ら勉強するようにならないと伸びないわけですよね。もう勉強するの嫌だというのが入ってくるわけですから。
本来であれば、大学まで行っていただいて、カリキュラムから何から、また学生に直接会っていただければ、その大学の勉強レベルも学力レベルもわかろうというものでございまして、三十万円ではなく、もう少し、大臣、私は桁が一桁違うんじゃないかと思っております。 例えば、厚生労働の科学研究費と言われるものですが、それでも普通は三百万ちょっとはあると思いますが、大臣、いかがでしょうか。
そして、全国の学力テストも、悉皆方式というやり方でありますが、全国津々浦々の教育の学力レベルを把握しようという目的の手法だというふうに思います。
そして、一番所得の高い、さっき申し上げた、例えば一千万以上のところは全然学力レベルは下がっておりません。 一番問題なのは、正に就学援助費をもらったり、あるいは、そこは何とか払うけれども、いわゆる塾等で補習ができない子どもたちの学力がどんどんどんどん低下をしているということだと思うんですね。
フィンランドが世界でナンバーワンの学力レベルになっている、それから何を学ぶべきか、項目だけでいいから教えてください。
私の言わんとするところは、かつて青森県内で山間へき地と言われるところの学力レベルと都市部の学力レベルが大変格差が付いた時代がございました。
この方法は、学力レベルの向上にかなり効果を上げていると報告されております。デンマーク聾学校の報告では、バイリンガル聾教育において熟達した指導が継続的になされるならば、聴覚障害児の集団団体全体が健常児に勝るとも劣らぬ学力レベルを達成することを可能とする指導方法であるということを示したと報告されております。 また、ベトナムを始めアジアの幾つかの国々でもバイリンガル聾教育の実践をしているようです。
その辺についての、いわゆる学力低下を来すのではないか、学力レベルが低下するのではないかという問題について、どうお考えになるでしょうか、お聞かせください。
先ほども申し上げましたとおり、本人たちが海外での経験をしておりましたときに、その結果、日本人と相手の国の人との力の差あるいは学力レベルの差というものを初めて渡航して経験をしてきます。そうしたときに、日本人としての自覚、我々は本当に日本に生まれてよかったという自覚と同時に、今学んでいることは決して間違いでない、そういう自覚を持って帰ってくる学生がほとんどであります。
学力レベルの後退を容認し、学部レベルの教育を大学院で引き受けることとするのか。もしくは、大学の多様化、種別化を促すことで、研究中心の大学と教育中心の大学とで受け入れる学生を峻別、少数の国際的に通用する大学を育てていくのか。
私が一番心配しているのはそういうことでありまして、教師は学力レベル、いわゆる受験学力レベルでは余り優秀でない方がいい、人間的に温かみのある教師の方がいい教師ではないかというように考えています。
しかし、中高一貫教育を全面的に今度導入した場合には、「中学校の入学段階での生徒が、一定の学力レベルにあったとしても、その後急速に能力・才能・興味・関心が分化し」、分かれてきて、そして教育が成り立たなくなるおそれがある。それはよく予想されることでございます。私も、工業高専で五年間の一貫教育の中で二十年ほど教育をしておりましたものですから、功罪もある程度理解できるところでございます。
と申しますのは、私は、世界の中で農家の人の基礎知識レベル、学力レベルが一番高いのは日本だと思っているんです。コンバインだとか複雑な薬品だとか、いろんなことを全部処理できる、あのレベルに新しい技術が入り込んでいったら、農業を変える可能性があると思っています。今暗いことだけが多い農業の世界ですが、やはりそこの決め手は筑波の研究所じゃないかなと思ったりしていますが、現状いかがですか。